クァクギョンテク監督の「愛」「チング」という映画は、韓国映画の中で多くの意味を持った映画の中の一つに記憶される。
映画の中でコメディ的要素でも使われた訛りが、これ程までに格好良いという事実を知らせた上に、当時、封切り映画としては記録的な興行に、ハンサムな顔で選り分けられていた俳優チャンドンゴンの再発見まで。
「チング」のクァクギョンテク監督が演出を引き受けたという事実だけでも話題を集めた映画「愛」がその姿を現わした。
「愛」という、あまりにも簡単で別に取り上げるところもなさそうなタイトルは、映画に対する関心を反感させるようでもあるが、クァクギョンテク監督は「これ以上のタイトルを見つけることは出来なかった。」という。
監督の言葉通り、映画を見た後には‘愛’という単純なタイトルは長い余韻を残すタイトルとして記憶される。それ程、この映画が愛に対して残すメッセージは強くて、重くて、長い。
偉いこともなくて特別なこともない、学校でも、ただ運動で大学に行ってみようという考えで堪えている一人の男チェイノ(チュジンモ)。
どこを見てもメロ映画の主人公になるには不足さなところが多いこの人物は、チョンミジュ(パクシヨン)という一人の女を眺めるようになって、おびただしい愛に落ちこんでしまう。
しかし、チョンミジュもチェイノが憧れたり、愛する為にすべてを捧げなければならない程に凄い女ではない。
母親に対する酷い憎悪で、共に自殺してしまった兄と密輸屋である父親の間で、勝手に投げられた見窄らしい人生だ。
単純、無識だが哀切なラブストーリー映画初盤から中盤に至る‘どん底人生’に対する肖像たちは、観客を苦笑させるようにする。まるで「チング」の陰湿した映像で、妙な憐愍のようなものを感じたことのように。
自分の女を悪党チグォン(キムミンジュン)から助け出す為に、自分の人生に‘前科者’という不名誉まで消してしまったチェイノに、結局チョンミジュは、許諾されずに一方的な心のみを酷く注ぐ境遇であるだけだ。
それさえも、体つきを買われて大企業の秘書室で認められるボディガード役をするチェイノの前に、結局現われたチョンミジュは、グループ会長の情婦。
酷く狂ったチェイノの人生、そして彼には構わずに自分の席を守るチョンミジュの姿を見れば、彼のチョンミジュに向けた愛はつまらなく見えるだけでなく、愚かに感じられる程だ。
そのように映画の中のチェイノの愛は単純、無識、過激だ。
大企業の要職に上がっていながらも、荒い言葉と無識さを打ち出すチェイノの愛も、その姿そのままであること。
しかし、映画はそんな苦笑の出る愛を、映画の最後まで悲惨な程執拗に引っ張って行き、結局は胸の中を何か重く、ジーンとさせるようにする。
理解することは出来ないのに、ジーンとする愛。映画の中に流れるそんな愛が、この映画をメロ版「チング」にするようだ。
何より映画を楽しむようにさらる一番重要な要素は、3人の主演俳優の驚きべき変身。
俳優の変身、映画の最大の魅力チュジンモは、これまでの淑やかさを脱ぎ捨てて、荒くて歪んだ姿で魅力を発散する。
自分の女の前で一言も自信あるように出来ず、顔つき一つもちゃんと管理出来ないものの、自分の愛を表現してみようと身悶えする彼の姿は、今では自身の身にぴったりと合う服を着たようだ。
演技に対する評価よりは、芸能界イシューの中の芸能人に恥部されたパクシヨンも、自然な演技で映画の中に解けて混ざり、数奇な人生を生きる女の感じを充分に漂わせる。
その姿は観客たちをチェイノの視線から、映画の中の状況を見るように導く役目をたっぷり果たす。
出演分量は多くないが、キムミンジュンの変身も注目するに値する。
卑劣なチンピラ、チグォン役で元々の顔を見分けられない位の扮装と独特の身なりで、口汚い台詞を吐く彼の顔からは、‘フンナム’ であったイメージは見つけ出し難い。
映画中盤、口ずさむ台詞が続いて、似ている「チング」での場面のような緊張感を与えることが出来ずに、多少退屈さが感じられるということが映画の小さなキズというなら、そうだ。
しかし、慶尚道男の、単純だが底力があり、それでより切ない愛、そして3人の俳優が既存のイメージを完全に脱ぎ捨てた‘魅力’で新しい姿が、この映画の最大の強点だ。
ノーカットニュース放送芸能チーム/イチャノ記者 hahohei@cbs.co.kr
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ノーカットニュース]2007-09-12 08:00:00
posted by rika1999 at 20:56|
■映画「愛」
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